木場弘子さんがアナウンサーになったきっかけとは
『1枚のハガキからアナウンサーに』
だんだんテレビに興味を覚え、小学校4、5年のころにはテレビ局のプロデューサーになり、番組を作りたいと思っていました。そしてもう1つの夢が数学の教師になること。オスロでも算数だけは分かったので、科目の中で算数が1番好きだったんですよ。
それで、千葉大学の教育学部に進学したんですが、中学数学の副専攻の試験に落ちて、それなら一般企業の就職試験も受けようかなと。
テレビ局には縁もないしと、あきらめていたんです。ところが、たまたま大学の進路指導室に行ったときに、フジテレビのアナウンサー講習会の応募ハガキが3枚残っていたんです。友達に「弘子なら絶対受かるよ」と言われて、受けてみようかなと。フジテレビは最終試験で落ちたものの、TBSには運良く合格。もしあの日、進路指導室に行かなかったらと考えると、運命って面白いなと思いますね。
TBSでは、民放初の女性スポーツキャスターに抜擢されたんですが、後で理由を聞くと、男女雇用機会均等法ができて最初の採用だったから、1人ぐらい女性のキャスターを、ということだったらしいんです。
意外ときっかけは些細な事なんですね。
1枚のハガキがなけりゃ、私が木場弘子さんの存在を知るはずもなかったのかと思うと、
凄いなぁ~。
しかし、それにしても「小学校4、5年のころにはテレビ局のプロデューサーになり、番組を作りたいと思っていました。」って、木場弘子さん幼い頃からませていたんですね~。
木場さんらしいや。
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